鐘の音とモイーズ。

2020.01.02 update

あけましておめでとうございます。すっかりごぶさたしていましたが、釧路時代の生徒さんから「ブログ見ています」と年賀状をいただき、更新せねば!と重い腰を上げました。ツイッターなどでは日々研究の断片などもつぶやきやすいのですが、こちらはある程度まとまってからと思うと書きたいことはあっても書き上げるまでに時間がかかってしまっています。「続きはまた次回!」と言いながら続きのないものがいくつもあり申し訳ありません‥^^;

そんな中、この年末年始に感じたことなどを。

年末、除夜の鐘がうるさいという苦情があるとのニュースを目にして驚きました。日本人の心に染み入るような一年に一度の伝統的な行事も、これからは存続が難しくなっていくのでしょうか。苦情を述べる人はまだまだ少数派のようですが、世の中がどんどん文化への無理解と不寛容へ向かっているようで心配です。

私は帰省するとお墓参りも兼ねてよく京都を訪れます。京都は日本の他の街に溢れているような、必要性を問いたくなるBGMや電子音がとても少なく、静寂の中に水の流れる音があり、厳かな鐘の響きがあり、そんな環境に身を置いていると耳も心も安まり、感性が研ぎ澄まされるように感じます。観光地は人であふれかえっていると言われますが、私がよく訪れる真冬に、街外れを歩くととても静かです。

先日、モイーズの「私のフルート論」を読み返していて、とても共感したエピソードがあったのでご紹介させていただきます。(以下引用)

〜質の良い鐘はおのづから振動する〜
 
 私は常に音の美というものに対して反応しやすかった。5歳から6歳の頃にすでに私は村の鐘のあたたかい響き渡る音に深く感動させられていた。
 
 ひとつひとつの鐘に独特の音色、表現力があり、それらすべては私にとって不思議な力を持っているかのように思えた。
 
 私の最初の音楽的感覚はその頃にさかのぼる。
 
 私の誕生に立ち会った教会の鐘鳴らしのおじさんは、とても背が高く、長いもみあげの持ち主であった。アンジュラスをならす時は威厳のあるならし方をしたので、特に壮大な男に思えるのであった。私の尊敬はすべてその人にそそがれていた。自分ではひそかに彼の後をつごうと思っていた。考えてみれば、きっと彼こそ、私のキャリアを通して逢った多くのオーケストラ指揮者よりも、私の幼年時代に強い印象を与えた人であろう。

美しい音は、その音色と豊かさと反響だけですでに表情にみちているものである。

(引用終わり)

音楽家の土台となるような音風景。それは地域によって、時代によって、さまざまなものがあるでしょうが、私はこういった素朴でしみじみとした豊かさを湛えたものが、これからも失われることなく存在し続けてほしいと思います。

そして、その上に立つような美しい響きを、私たちはフルートで出せるように歩んで行きたいですね!

みなさま今年もどうぞよろしくお願い致します!

(二年ほど前、冬の京都で撮影していただいた写真です。着物は春のイメージでしたが寒かった…。でも冬の寒ーい京都も大好きです。)