国家とは‥??

2019.02.20 update

先日、子供たちが小学校から道徳教育に関するアンケートを持って帰ってきました。様々な項目があり、身についているか身についていないか、また、家庭で大事にしていること、学校で大事にして欲しいことを選択し記入するというものでした。

私はその設問のひとつひとつにとても違和感を覚えたので、今の道徳教育ってどうなってるの?と調べてみたところ、昨年の春から道徳は教科化されていて、これから評価も始まるとのこと。今さらながら、これってどうなの??という疑問が沸々とわいてきたので、少し書いてみるとにしました。

私は道徳も大事だと思います。思いやりを持つことや礼儀。郷土愛や愛国心だって、そのものが悪いとは思いません。ただ今回とても引っかかったのが、「人として大切なこと」を子供達に教えようとしているのではなく、国とその教育が決めた「あるべき姿」を、内心の自由にまで踏み込んで教え、評価する、という点。

例えば「きちんと挨拶をしましょう」はいいと思うのです。でも「敬愛しましょう」というのはどうでしょう?私はそんなのは個人の自由だ、と思います。世の中の人みんなを等しく愛せるわけじゃないし、気の合う人、合わない人、いろんな人がいて、でも、人として尊重して、礼儀を尽くす。そういうものだと思うのです。

子供達が持って帰ってきたアンケートには「先生を敬愛する」という項目があり、それが身についているか、いないかを記入しないといけませんでした。郷土や国に関しても。愛することが義務となり、これからはその評価が行われるなんて。

国家があるべき人間像を定め、その教育をする‥。国家とはなんだろう?と果てしない問いの中に迷い込んでしまいました。
(でも、演奏がそうであるように、絶対的な正解はないのだと思います。よりよいものを求めて、それぞれが歩んでいく。今の世の中だって、政治だって、人々の選択の結果なのだから。)

そんな時に私たちにヒントをくれるのはやはり歴史だと思います。特に音楽に関わる人にぜひ読んで欲しいのがこちら。中川右介さんの「国家と音楽家」

音楽家がいかに国家と対峙したか。でも、決して、反権力的な戦いばかりをクローズアップし賞賛しているわけではないところに深みを感じます。

音楽に関わる人たちはきっと様々な「自由」への思いが強く、支配しようとするものへの反発心も大きいと思います。けれど、抵抗を表に出せた人もいれば、出せなかった人もいて。それぞれが、それぞれの、時代、立場で、国家というのもに翻弄されながらも生き抜いていく、そんな姿がたくさん描かれています。

先人たちの足跡を辿りながら、これからの世の中が、社会が、世界が、よりよいものとなっていくにはどうしたらいいか。いつもどこかで考えていたいなと思います。


物理現象に注目せよ。

2019.01.31 update

最近は「〇〇しなさい」という本が売れるらしいので、私もそんな感じでタイトルをつけてみました(笑)

ここでよく書いている通り、奏法は、国によって、時代によって、流派によって違います。個々に違っていてもいいもの。だから、これが正解!というのはない、といつも言っています(クラシック音楽のルールなどはまた別の話として)。なので私は、その人が好きなもの、やりたいこと、を踏まえ、いちばん合うものを提案させていただけるよう心がけています。

が、しかし!物理現象については、それではいかん!というのがあるのですが、なかなかその部分を理解してもらえないことも多い気がするので、当たり前のことばかりで恐縮ですが、ちょっと取り上げてみることにしました。奏法に関してお悩みのある方はどうぞお付き合い下さい!

例えば、唇の突起が息の通り道を邪魔している場合。これは息をスムーズに流す事のできる道を確保した方がいいのは言うまでもありません。以前、レッスンの際、図解して、今はこうなっているのでこういう風に作っていきましょう!と提案させていただいたら「私、フルートに向いてないんですね、、」と言われたことがありますが、そうではなく。道に邪魔な石があるから通りやすいようにどけておきましょう、ということなのです。必ずしも中央にアパチュアを作らないといけないわけではないのですが(名人でもどちらかにずれている人はたくさんいます!)、教本に書いてある絵などを見てそう考えてしまう人は意外と多いんだなぁ、と思います。だからこそ、これが正解!こうあるべき!ではなく、物理現象としてどうか、という観点が大事!と言いたいのです。

もうひとつの例として、女性にとても多いのが、アクションによって何らかのブレを生んでいる場合。私が見てきた例では、発音しようとすると顎が動いて楽器も動いている、指を動かすとキーに着地した後に第一関節がぐにゃぐにゃしている、などなど。こういうブレがあるとどうしても響きが不安定になってしまうし、フィンガリングとしても不要な動きはない方がいいのは言うまでもありません。

このようなことが生じている場合、私はその上に何かを積み上げても砂上の楼閣にしかならないと思うので、ブレない土台作りを徹底してやってもらうのですが、お互いに、非常に根気のいる作業。でも、先送りしてしまうと、その人の成長を妨げてしまうのは目に見えていて。だから、大変でも必ずしっかり取り組みたいと考えています。

あと、どういう音を美しいと思うかは人それぞれ好みがありますが、響いているか、響いていないか、は、はっきりと断言することできます。その楽器が、しっかり響いているか。音が出ている、ではなく、響き切っているか。響き切った音というのは、自分の身体にもとても気持ちのいいもで、そしてそれが人に伝わっていくのだと思います。以前にも書いた通り「オレのミニチュアにはならなくていい!」と自分のコピーはさせなかった私の師匠ですが、この点についてはとてもとても厳しかったです。そして、その大切さを、自分が歳を重ねるほどに実感しています。

音楽を奏でるためには、いい音楽から学ぶこと、イメージを持つこと。クラシックに関しては、背景、様式などを勉強すること、などが大切だと思います。そしてそれを支えるのは音楽を好きだという気持ち。と、同時に、楽器という道具を使う私達は、それをよりよく機能させるためにはどうしたら良いか、冷静な分析とトレーニングが必要になってきます。情熱と冷静さ、感情と論理。一見相反するもののバランスをとってこそ成り立つものなのかも知れません。深い!そしてだからこそ面白いですね!

(お正月明けは関西へ。姫路好古園のお庭にいた紅白の鯉。)


ピアニストさんの書いた本。

2019.01.27 update

エレーヌ・グリモーさん。昔ちらちらと聴いた時には、私には刺さりすぎるような肌感覚があって、実は少し苦手でした。芸術家として、そういう痛みを感じるようなものも伝えられるというのは素晴らしい資質だと思うのですが、あまり好んで聴くことはありませんでした。

でもその印象が少し変わったのがこのアルバム。

大好きなピアニスト、リュビモフさんのコンサートに行って聴いたシルベストロフ。グリモーさんの演奏もいいなぁ‥と、今のグリモーさんに興味を持ち始めた時に、新しい本が出版されていたのを知ったのでした。

私は、自伝的なものかと思って購入したのですが、現実と夢の間を交差しているような物語が繰り広げられ、最初は少し戸惑ったものの、まるで村上春樹の世界のようでどんどんと引き込まれていきました。

その中で、彼女が今考えていることを(と言っても日本語訳が出版されたのが昨年で、フランスでの出版は2005年だそう)、彼女に、登場人物に、語らせるのですが、その内容がとても素敵でした。

音楽とは?芸術とは?生きるとは?

深い深い問いの答えを見るけるための手がかりとなる、あたたかい光をくれる本ではないかと思います。

少しネタバレになってしまいますが、キーパーソンとなるのが、バルビゼに似た「先生」。

私は「あーっ!!!繋がった!!!」と叫びたい気持ちに!!

この本も大好きなんです。青柳いづみこさんの「ピアニストが見たピアニスト」。

リヒテル、ミケランジェリ、アルゲリッチ、フランソワ、バルビゼ、ハイドシェック。ピアニストだからこそできる分析と眼差し、そして青柳さんならではの文筆力で、それぞれの、ピアニストとしての孤独な戦いを私たちに教えてくれます。

そして、この本の中で、青柳さんの師でもあるバルビゼは、「パリ音楽院を出てから大学で文学を専攻した」とあるのです。なるほど!グリモーさんの本に出てくる「先生」はまさに‥。

音楽と文学の間を行き来する本を、二人のお弟子さんが書いているということ。これは先生からの影響なのか、ご本人の資質なのか。もちろんそのどちらも、かも知れないけれど‥。とても素敵なことだと思います。

それにしても、お二人の著作を読めば読むほど、バルビゼさんという方は素晴らしい音楽家であり、教育者であったことが伝わってきます。

この青柳さんの本の中に記述がありますが、バルビゼはランパルとマルセイユで同級生だったそう。プーランクのソナタの録音などもあり、探してみたらYouTubeでもお二人の演奏を見ることができました。

私は瀬戸内生まれのせいか、マルセイユの音楽家にはとても親近感を覚えます。きっと瀬戸内と同じで、日差しも明るく、あたたかく、開放的なんだろうなぁ、なんて思いながら。

一方で、私は、グールドが北に憧れたような思いを持って北海道へ来たわけですが、そういう音楽、音世界、についてはまた別の機会にでも!
(私は冬の北海道が大好きです♡手が凍りつきそうになりながら撮ってもらった真冬の赤レンガ倉庫前)


Couesnon model-Monopole(Moyse-model)のこと。

2019.01.24 update

以前にも書いたことがあると思いますが、私は、モイーズがそうだったように、楽器のことを語りすぎるのは良くない、とある時期から考えていました。すごくこだわりを持ってセレクトしているけれど、でも、聴いてもらうのは音楽。そこに説明は必要ない、と。

特にモイーズモデルを持ってからは、この楽器の良さを演奏に生かせるまでは語らない、をモットーにしていたつもりです(チラチラとは語ったかも知れませんが、、)。

ですが、色々と考えて、今年からは以前使っていた洋銀のBonnevilleを使うことに決めたので、総まとめとして考察したいと思います。ただ、難しいのは、この楽器は奏法によって結果が大きく異なる、ということ。ネット上にある情報を見ると「音階もままならない楽器」という記述もあったりするけれど、とても美しく吹いている方もいらっしゃったり。なので、あくまでも、絶対的な評価ではなく、私が使ってみての感想、とお考えいただければ幸いです。

ポイントその1「洋銀」
実は私がこの楽器に興味を持ったのは、モイーズという名前ではなく、洋銀である、という点でした。フランスのオールドフルートに興味を持って色々な楽器を見る中で「Maillechort」と呼ばれる昔のフランスの洋銀に魅せられた私は、そう言えば、モイーズが使っていたのはどんな楽器だったのだろう?と気になって調べたのが出会いのきっかけです。LouislotやBonnevilleの洋銀を吹いていたのに、このCouesnonを吹いてみよう!と思ったのには、管厚の厚さもありました。私は長い間、管厚の厚いH足フルートを吹いていたせいか、オールドでは息が強すぎて裏返るというようなことがよくあったので、洋銀の柔軟性を発揮しながらも管厚の厚さによって暴れを防いでいるこの楽器に好印象を持ったのでした。

ポイントその2「高い響き」
私は、フルートの高い音は高めなくらいが美しいと思っています(あくまでも好みです)。もうそれは音程という概念を超えた、天界に近づく響きとでもいうか、、独特の幸福感があります。でも、大抵のオールドフルートは当然のことながら低め。442で演奏するには無理がある中で、皆さん、いろんな工夫をして使っているのだと思います。

そんな中、このCouesnon-Monopoleは、見るからに短いのです!どのくらいかと言うと、、

じゃーん。
頭部管を全部入れた状態で象嵌細工の線に合わせ並べてみました。
上から、Bonneville(4000番代)、Mateki943バラード、Couesnon-Monopole。
なんと、Couesnonはマテキよりも短いのです。

オールドでありながら、現代ピッチで演奏できる可能性を大いに感じたのでした。
(しかしそう簡単にはいかなかったのですが、、)

ポイントその3「独特のキーワーク」
私はちょうどこの楽器に出会った頃、甲状腺疾患で手足が震える、という症状が強く出ていました。リングキーを抑えるのが困難な状況があったので、このキーにはとても助けられました。それまでは「インラインリングが当たり前!」と思っていた私ですが、この楽器を知ってから、もっと柔軟に考えていいのではないかと思うようになりました。楽器に自分を合わせるのではなく、自分に楽器を合わせるような設計。無理をしないことが、結果的に自分の力を最大限引き出せる、ということをモイーズは知っていたのではないかと思います。最近、私の周囲で、ジストニアを患っている方が多くいらっしゃいます。私が経験したのと同じような、思うように動かない苦しさと戦っていらっしゃる方のためにも、キーワークに関してもこのくらい大胆な選択肢と可能性が広がるといいなと思います。

まとめ「素晴らしい楽器だけど、、」
モイーズと言えば、「楽器にこだわらなかった」「苔が生えていた」なんていうエピソードを耳にしていたので、私も当初はそんなイメージを持っていましたが、この楽器を知ってからそれは大きく変わりました。これほど、考えに考えて、革新的なことをできた奏者を私は他に思いつきません。

ただ、私にとってとても難しかったのが、この楽器はモイーズ的な響きをモイーズ的な奏法で狙った時に、効果を発揮するのではないか、という点。私は最初に専門的なレッスンを受けた時に「頭部管を内側に向けてはいけない」「そうでないと細く、暗い音になる」と言われて、そのように練習してきました。大学時代の師匠はいわゆる「内吹き」推奨でしたが、私は反発して受け入れず、、(若気の至りで今は本当に反省しています、、)。

今はそう信じているわけではなく、むしろエッジに近い方が繊細なコントロールをできるのでは、と考えているのですが、3つ子の魂100まで、、という感じで、どうしても、極端な内吹きをしようとすると、アンブシュアや発音に無理がかかってしまいます。もう今までやってきたものを全て捨ててでも吹いてみよう、という覚悟でやってきましたが、5年近く取り組んで、考えに考えて(思えば長い間修行したなぁ、、)、今年からはまたBonnevilleを吹くことに決めました。

私が理想とする響きを考えた時、あるオーケストラ奏者さんのことを一番に思い出します。
その音がしっかり聴こえる場面では天から倍音が降ってくるような。
その音がオケの中にある時には、音の輪郭は捉えられなくてもその響きが全体の彩りを作っているような。
そんな響きを生で体感させていただいたことは本当に貴重だったと思います。

その方から譲っていただいた楽器でまた新たにスタート。
不思議なもので、以前吹いていたときとは違った音が出てきています。
全てを捨ててでもやってみよう!とトライしたことは、きっと生きていると信じています。

お正月明けにまた東京からレコーディングエンジニアさんが来てくださり(今回は私は録音には参加していないのですが)写真を撮って下さいました。Couesnonとの記念写真を正装で。偶然にもこのタイミングでこんな風に撮っていただけたこともとても感慨深いです。いつも思いがけず不思議な縁が繋がり色々なことが起こりますが、今年はどんな出会いと広がりがあるか楽しみです。今年もどうぞよろしくお願い致します!


今年もありがとうございました!

2018.12.27 update

あっという間に、2018年もあと数日。
今年も一年、本当にありがとうございました。

私は持病もあったりするので、何かとゆっくり過ごしていますが、この街でも少しずつ、お友達ができたり、このブログを見てレッスンに来てくださる方もいらっしゃったり、新たな出会いもありながら、釧路時代からの生徒さんともいろんなやりとりができて、とても楽しく、心温まる一年でした。

いつもこちらは気まぐれ投稿になってしまい申し訳ないのですが、そんなブログにもお付き合いくださっている方に、感謝を込めて‥今日は少し演奏をお届けしたいと思います!

夏にアンサンブルの録音を行なった際に、エンジニアさんが、せっかくだからソロも一曲!と声をかけてくださって急遽取り入れたのですが、以前からお気に入りの曲だったこともあり、公開させていただくことにしました。

私の大学時代の恩師が、もう何年も前に、コンサートのために書いてくださった曲です。どんな曲かはぜひ聴いてみて下さい^^

https://www.youtube.com/watch?v=msRxejhedMA&t=34s

2019年がみなさまにとって、良い年となりますように。
音楽が様々な豊かさをもたらしてくれますように。

来年もどうぞよろしくお願いいたします^^