マテキフルートの歩み 2

2020.02.02 update

「国内ではまず売れないと思ったし、また売る予定もありませんでした。だから外国の人が発音しやすく短い<マテキ>にしました。<magic flute>といえば、コンベンションでも興味を引きますし」

マテキフルートは輸出専門のメーカーとして始まり、社名もそれを前提として考えられたものだった。当時、海外では、日本産のフルートはどのメーカーも同じようなもので個性がないと考えられがちであった。そこで渡辺氏は決意をする。

「今はそうではありませんが、そのころ日本のフルートメーカーでは、社内で作れない部品を外部の会社に作ってもらう『外注』が盛んに行われていました。しかし外注先の数が少なかったので、どのメーカーも同じ会社の部品を使うようになる。そうすると見た目が似てくるのも当然です。マテキ独自の楽器を作るには、できるだけ外注加工しないで社内でやるしかないと思いました。」

会社設立当時は、渡辺氏ひとりでハンドメイドを行なっていたが、次第に注文が増加し、社員も一年に一人の割合で増えていった。

しかしここで昭和60年から始まった急激な円高のため、日本の輸出企業は軒並み大ショックを受けることとなる。マテキフルートも例外ではなく、海外への輸出が困難となり、国内の販売に踏切らざるを得なかった。しかし社員は技術者ばかりで営業経験はなく、手探りの状態で独自の流通にアプローチを始めた。そして、国内での販売は、小売店に楽器を持ち込み販売を依頼する方法と、直接ユーザーから工場が受注する2つの方法に絞った。

「問屋を通さないので苦労することもあります。でも、お客さんの要望や反応を直接聞けるのがいいですね」

こうしてマテキフルートは国内でも販売されることとなった。海外へ輸出を続けていたことで、留学をしていた日本の若手奏者にも認知・評価されていたため、次第に国内でもその評判が広がっていく。

「よく楽器一本にそこまで手をかけなくても‥と言われます。私自身、この仕事の仕方は今の時代からしたら遅れた世界だと思うこともあります。でも、細かい部分、見えないところと大事にしないといい楽器にはならない。これからも自分たちが納得するいいものを作り続けていきたいんです。」

(参考文献 アルソ出版「国産フルート物語」)


マテキフルート年表
1978年(昭和53年)6月 埼玉県坂戸市にマテキフルートを設立

1978年(昭和53年)11月 マテキフルート第1号完成。輸出専門メーカーとして、1986年までは総銀・金製フルートのみを生産。

1985年(昭和60年)8月 新素材、G10(金10%)製のフルートの開発を始め、第一号完成。マテキオリジナルとして製品化・発表する。

1986年(昭和61年)7月 モデル02、03製作開始

1988年(昭和63年)3月 全種デザインを一新し、本格的に国内販売を始める。AG943モデル、巻き管仕様のフルート製作開始。ハーフオフセットオプションの開発、製品化。

1991年(平成3年)6月 全種デザインを変更 8月 第5回フルートコンベンション(神戸)にて発表。

1993年(平成5年)8月 第6回フルートコンベンション(広島)において、プラチナフルートを発表。ハーフインラインオプションの開発・製品化。H足部管新キーシステム発表。

1997年(平成9年)8月4日 代表 渡辺茂氏逝去  8月 第8回フルートコンベンション(横浜)にて、AG990モデル発表・製品化。12月 渡辺栄子氏が代表となる。

その後、頭部管ノーマークBタイプ、Gタイプを開発。
02モデルの受注を停止。

2011年(平成23年)渡辺竜一氏が新会社「フルート工房マテキ」を設立。

その後、02、03、バラードモデルの生産を中止。AG900モデルを製作。

2019年(令和元年)12月31日 廃業

マテキフルートの廃業は私にとって悲しく、寂しいニュースでしたが、少しでもその足跡を残し伝えることができればと思い、記事を書かせていただきました。今後製造されることはなくなってしまいましたが、これまでに作られた楽器はきっと後世へ残っていくことでしょう。私はオールドフルートに触れる中で、しっかり作られたものは100年経っても美しい響きを奏でてくれることを知っています。マテキフルートもそういう楽器であると信じています。

(以前いただいたマテキフルートのポスター)












マテキフルートの歩み

2020.01.18 update

 新年早々マテキフルート廃業のお知らせが飛び込んできて、インターネット上でも皆さん驚かれていたり、残念がっていたり。でも2週間ほど過ぎた今は、話題にする人も少なくなりました。もちろん楽器はしっかり残っていて、それを大切に使い続けている方がたくさんいらしゃるのでしょうが、情報が流れ、そして消えていくスピードがあまりに早いことに寂しさと危機感を覚えます。そんなこともあり、私は創業当時のことを知っているわけではないのですが、ここで資料をもとにその足跡を辿って行きたいと思います。

マテキフルート誕生まで
 創業者の渡辺茂氏は福島県の学校を卒業後、日本管楽器製造株式会社(ニッカン)に就職する。その時までフルートという楽器は見たこともなかったそう。しばらく無我夢中で楽器を作っていた渡辺氏。当時はフルートブームで、ニッカンのフルートも世に出回るようになっていたにも関わらず、ニッカン埼玉工場ではフルートについての詳しい製作技術や良い楽器の基準などがまだまだ未知数で試行錯誤の時代だった。

 そんな中、いつしか渡辺氏の楽器作りの腕は、社内の大勢が認めるものとなっていた。ニッカンが日本楽器(現ヤマハ)に吸収される数年前に、その腕を見込んだ楽器会社から誘われ、渡辺氏はニッカンを辞職する。渡辺氏が行ったのは、SMフルートという当時ブームだったキーのない簡易フルートを売り出している会社だった。本格的な楽器を作るために渡辺氏が呼ばれたのだが、会社側はフルート作りの環境を整えられず、結局はそこで仕事をすることに疑問を抱くようになり1年ほどで退社する。

 その会社には、同じようにニッカンを辞め営業として勤務する宮澤正氏がおり、昭和44年10月、 同氏とともに「宮澤管楽器製作所」(現ミヤザワフルート)を興し、活動を開始した。

 その後、渡辺氏はどうしても自分のフルートを作りたいという夢が頭から離れず、8年間の勤務のあと退社。8人の技術者とともに「八州フルート」にて楽器制作を続ける。八州フルートは輸出専門の会社としてスタートし、「タクミフルート」のブランド名で製品を販売していた。アルタスフルートの田中修一氏もかつてここに在籍している。

 そのタクミフルートを経て、自分の作りたいフルートの本格的な制作のため、昭和53年の6月、たったひとりで自分の会社を作ることになった。渡辺氏32歳の時であった。(参考文献 アルソ出版「国産フルート物語」)

 このタクミフルートはマテキさんの所蔵品の中に1本あり、私は吹かせていただいたことがありました。その後、Ag900で作られたフルートに興味を持ち昔の国産フルートを辿っていた時に状態の良いタクミフルートに出会い、しばらく使っていたこともあります。Ag900は近年マテキフルートさんで再び製品化されました。

 私がAg900のタクミフルートを使っていた時の録音がこちら。いちばん最後に楽器の写真も出てきます。2013年の録音なので釧路時代の写真がいっぱいで懐かしい‥。庭で飼っていたニワトリまで登場!(笑)よろしければご覧下さい!次回またマテキフルートの歴史を辿って行きたいと思います。


マテキフルートと私。

2020.01.13 update

出会いは大学4年生の夏休み。私は新卒採用の島村楽器講師試験に合格し(実は島村楽器の講師とインストラクターの違いをよくわからずに受験してしまい、のちにインストラクターに変更してもらうのですが‥笑)、配属はどこかわからないけれど、もし地方で教えるなら簡単な修理ぐらいはできないと!と考えていました。東京のどこかでリペア講習会があるという情報を見つけ、それに申し込むつもりだと師匠に話したところ、マテキフルートに行きなさい!と。でも実は、当時私はバッリバリの(?)ムラマツユーザー。そんな私が行ってもいいのかしら?と思いつつも、師匠の強い勧めもありお世話になることになりました。

 ちょうど兄が東京に住んでいたのでそこを拠点にしたのですが、兄の家は南大沢(八王子)にあり、マテキさんは坂戸(埼玉)。確か始業時刻が8時頃で、毎日5時に起きて6時頃の電車に乗り、乗り継ぎ乗り継ぎ‥通っていました。

 そんな日々だったので、午後になるとタンポと格闘する中で工具を握りしめたままウトウトしていることもありました。ユーザーでもなく、時々集中力が切れて居眠りをする、そして定時ぴったりに修行を終え、そのあとは試奏ばかりしている‥(笑)そんな私にもマテキフルートの皆さんはいつも本当にやさしく、親切に、丁寧に、色々なことを教えてくださいました。

 アルバムをめくってみるとその時の写真がいくつかありました。これは初めてろう付けをしているところ。昔のマテキフルートの工場前も懐かしいです。

 この時作ったのがこちら。4本の太さの違うパイプをくっつけた、キーの開きを測る道具です。

 実はこの初めてのろう付け、仕上がりは真っ黒だったのです。これをその時割り当ててもらっていた自分の机の上に置いたまま帰り、次の日の朝来たら、いつの間にかピカピカに磨かれてありました。まるで夜の間にこびとさんが働いていたようで‥絵本の世界にも似たあたたかさを感じたのを覚えています。

 そして、この修行ですっかりマテキファンになった私は、たくさんアルバイトをしてまずは頭部管を買い、就職してからボディを買い、晴れてマテキユーザーとなりました。

 札幌でフルートコンベンションが開催された際には、展示のお手伝いやメーカーショーの司会など社員のようにお手伝いさせていただいたのもいい思い出です。

マテキフルートの展示ブースで、3代目社長さんと。

 私がマテキフルートに出会った時、創始者の渡辺茂氏はすでにお亡くなりになっていました。その後、オールドフルートの修理などでたくさんの技術者さんとお話しする中で、「実はマテキさんで少し修行させていただいたのですが」と言うと、みなさん渡辺氏は素晴らしい方であったと語っていらっしゃいました。そういうお話を聞く度に、お会いできなかったことを残念に思いますが、わずかに残された資料を元に、次回はその足跡を辿りたいと思います。


マテキフルート廃業のお知らせ

2020.01.13 update

 新年早々、とても残念なお知らせをすることになってしまいました。長年お世話になっていたマテキフルートさんが、昨年末をもって廃業されたとの連絡をいただきました。

 数年前にも廃業とのお話が出たことがありましたが、その時は社長さんが変わり、新たに「フルート工房マテキ」として再スタートされていました。しかし今回は本当に製造を終えたようです。

 私自身は現在オールドフルートしか吹いていませんが、一時期はマテキをメインにしていたことがあり、生徒さんには一番におすすめしてきたフルートでもありました。たくさんの方がその良さを理解し、ユーザーとなって下さったことは、とても嬉しいことでした。

 手間暇かけ、丁寧に、丹精込めて作られてきたマテキフルート。これからも良い状態で奏で続けていただきたいので、メンテナンスなどお困りのことがあれば私まで遠慮なくご相談下さい。(今後の調整もNさんが受け付けて下さると聞いています。)

 これからしばらく、数回に分けて、マテキフルートのことを綴りたいと思っています。よろしければお付き合い下さい。

釧路時代に教室で行なっていた展示会の様子

鐘の音とモイーズ。

2020.01.02 update

 あけましておめでとうございます。すっかりごぶさたしていましたが、釧路時代の生徒さんから「ブログ見ています」と年賀状をいただき、更新せねば!と重い腰を上げました。ツイッターなどでは日々研究の断片などもつぶやきやすいのですが、こちらはある程度まとまってからと思うと書きたいことはあっても書き上げるまでに時間がかかってしまっています。「続きはまた次回!」と言いながら続きのないものがいくつもあり申し訳ありません‥^^;

 そんな中、この年末年始に感じたことなどを。

 年末、除夜の鐘がうるさいという苦情があるとのニュースを目にして驚きました。日本人の心に染み入るような一年に一度の伝統的な行事も、これからは存続が難しくなっていくのでしょうか。苦情を述べる人はまだまだ少数派のようですが、世の中がどんどん文化への無理解と不寛容へ向かっているようで心配です。

 さて、先日モイーズの「私のフルート論」を読み返していて、とても共感したエピソードがあったのでご紹介させていただきます。(以下引用)

〜質の良い鐘はおのづから振動する〜
 
 私は常に音の美というものに対して反応しやすかった。5歳から6歳の頃にすでに私は村の鐘のあたたかい響き渡る音に深く感動させられていた。
 
 ひとつひとつの鐘に独特の音色、表現力があり、それらすべては私にとって不思議な力を持っているかのように思えた。
 
 私の最初の音楽的感覚はその頃にさかのぼる。
 
 私の誕生に立ち会った教会の鐘鳴らしのおじさんは、とても背が高く、長いもみあげの持ち主であった。アンジュラスをならす時は威厳のあるならし方をしたので、特に壮大な男に思えるのであった。私の尊敬はすべてその人にそそがれていた。自分ではひそかに彼の後をつごうと思っていた。考えてみれば、きっと彼こそ、私のキャリアを通して逢った多くのオーケストラ指揮者よりも、私の幼年時代に強い印象を与えた人であろう。

美しい音は、その音色と豊かさと反響だけですでに表情にみちているものである。

(引用終わり)

 音楽家の土台となるような音風景。それは地域によって、時代によって、さまざまなものがあるでしょうが、私はこういった素朴でしみじみとした豊かさを湛えたものが、これからも失われることなく存在し続けてほしいと思います。

そして、その上に立つような美しい響きを、私たちはフルートで出せるように歩んで行きたいですね!

みなさま今年もどうぞよろしくお願い致します!