マテキフルートの歩み

2020.01.18 update

 新年早々マテキフルート廃業のお知らせが飛び込んできて、インターネット上でも皆さん驚かれていたり、残念がっていたり。でも2週間ほど過ぎた今は、話題にする人も少なくなりました。もちろん楽器はしっかり残っていて、それを大切に使い続けている方がたくさんいらしゃるのでしょうが、情報が流れ、そして消えていくスピードがあまりに早いことに寂しさと危機感を覚えます。そんなこともあり、私は創業当時のことを知っているわけではないのですが、ここで資料をもとにその足跡を辿って行きたいと思います。

マテキフルート誕生まで
 創業者の渡辺茂氏は福島県の学校を卒業後、日本管楽器製造株式会社(ニッカン)に就職する。その時までフルートという楽器は見たこともなかったそう。しばらく無我夢中で楽器を作っていた渡辺氏。当時はフルートブームで、ニッカンのフルートも世に出回るようになっていたにも関わらず、ニッカン埼玉工場ではフルートについての詳しい製作技術や良い楽器の基準などがまだまだ未知数で試行錯誤の時代だった。

 そんな中、いつしか渡辺氏の楽器作りの腕は、社内の大勢が認めるものとなっていた。ニッカンが日本楽器(現ヤマハ)に吸収される数年前に、その腕を見込んだ楽器会社から誘われ、渡辺氏はニッカンを辞職する。渡辺氏が行ったのは、SMフルートという当時ブームだったキーのない簡易フルートを売り出している会社だった。本格的な楽器を作るために渡辺氏が呼ばれたのだが、会社側はフルート作りの環境を整えられず、結局はそこで仕事をすることに疑問を抱くようになり1年ほどで退社する。

 その会社には、同じようにニッカンを辞め営業として勤務する宮澤正氏がおり、昭和44年10月、 同氏とともに「宮澤管楽器製作所」(現ミヤザワフルート)を興し、活動を開始した。

 その後、渡辺氏はどうしても自分のフルートを作りたいという夢が頭から離れず、8年間の勤務のあと退社。8人の技術者とともに「八州フルート」にて楽器制作を続ける。八州フルートは輸出専門の会社としてスタートし、「タクミフルート」のブランド名で製品を販売していた。アルタスフルートの田中修一氏もかつてここに在籍している。

 そのタクミフルートを経て、自分の作りたいフルートの本格的な制作のため、昭和53年の6月、たったひとりで自分の会社を作ることになった。渡辺氏32歳の時であった。(参考文献 アルソ出版「国産フルート物語」)

 このタクミフルートはマテキさんの所蔵品の中に1本あり、私は吹かせていただいたことがありました。その後、Ag900で作られたフルートに興味を持ち昔の国産フルートを辿っていた時に状態の良いタクミフルートに出会い、しばらく使っていたこともあります。Ag900は近年マテキフルートさんで再び製品化されました。

 私がAg900のタクミフルートを使っていた時の録音がこちら。いちばん最後に楽器の写真も出てきます。2013年の録音なので釧路時代の写真がいっぱいで懐かしい‥。庭で飼っていたニワトリまで登場!(笑)よろしければご覧下さい!次回またマテキフルートの歴史を辿って行きたいと思います。