国家と音楽家。

前回の記事「H・P・シュミッツとフルトヴェングラー」では第2次世界大戦の頃のドイツを辿りました。

長くなるので書ききれなかったのですが、フルトヴェングラーについて語る時、ナチスとの関係についても触れないわけにはいかないと思ったので、今日はそれを知ることができるオススメの一冊をご紹介いたします。

中川右介さんの「国家と音楽家」。

まずは「はじめに」から引用します。

『国家と音楽家—本来ならば対峙するものではない。だが、20世紀という「戦争と革命の世紀」は多くの音楽家を国家と対峙せざるを得ない局面に追い込んだ。

 ある音楽家は妥協した。ある者は屈服した。ある者は対立を避けて国外へ出た。闘い抜いた人もいるし、死の一歩手前にあった人もいれば、故国喪失者となった者もいる。

「音楽に国境はない」と言われるが、そんな能天気なことは平和な時代だから言える。少なくとも音楽家には国境がある。(中略)

21世紀初頭—ナチ政権崩壊から70年近くが過ぎ、ソ連崩壊からも20年以上が過ぎた時点から、半世紀以上前の出来事、人物を批判することは、あまり意味はない。状況が違いすぎる。したがって、事実のみを記し、それぞれの音楽家たちの言動への評価は読み手に委ねたい。そのための材料を提供する。』

ぜひこの本を手に取ってお読みいただきたいのですが、少しかいつまんでご紹介すると。

フルトヴェングラーはヒトラーと近い距離にありながらも、常に密かな抵抗をしていました。ヒトラーとの面談でドイツに留まる条件として自分が政権とは関係がないことを公表するように求めたり(しかしそれは実現されなかった)、ナチ式敬礼をしないために指揮棒を握りしめ、ヒトラーにも握手で応じたりしたそうです。

前回の記事でご紹介したH・P・シュミッツの師であるグスタフ・シェックもまた、敬礼を拒んだ人でした。シェックのことを心配した同僚たちが飛び出してきて、絶対に上げるまいと固めた右手の拳を無理やり上げたと、レーグラ・ミュラー編「フルーティストとの対話」に書かれています。オーケストラの仲間であったユダヤ人音楽家が殺される中で続けた抵抗について語られたシェックのこのインタビューもまた、時代の厳しさを鮮明に伝えるものとなっています。

20世紀は戦争の世紀であったけれど、21世紀はもっと平和な時代がやってくると、私は当たり前のように思っていた気がします。

けれど、21世紀にも戦争は止むことなく、私たちはどう生きるべきか、何をすべきかを考えては、為す術のなさに途方に暮れます。

私は、何年か前にもそんなことを思い、ジャーナリストで写真家の長倉洋海さんの長倉塾に参加させていただいたことがあります。

その時に長倉さんがこんなことをおっしゃっていました。

「今の世界は複雑に絡んでしまった毛糸玉のようなもの。簡単に解くことはできないけれど、その1本1本を見つめることが大切。」と。

現在起こっていることも歴史上のことも、まずはひとつひとつ見つめていけたらと思います。

中川右介さんの「国家と音楽家」の目次はこのようになっています。音楽に関わる方に今、ぜひとも読んでいただきたい一冊です。